ブログの更新が滞っていた。
春の訪れとともに、さくらが満開を迎えようとしている9月の終わり。
この1ヶ月間はほとんどかくネタがない。なぜなら、1日の大半をベッドの上で過ごし、倦怠感と眠気を言い訳に予定もほぼほぼキャンセルしたからだ。
身体に重たい鉛がくくりつけられているのではないかと思うほどに、重力に身を任せきってベッドに横になる日々。
やる気もでず、悶々とした日々を過ごしていた。
遡ること約3週間前、妊娠検査薬を前に軽く放心状態の私。
自然に身を任せ、いつかはこどもができたらな。くらいの呑気さで生きていた。元々生理不順もあったりで、半信半疑だったが予兆はあった。
腹部に感じる違和感と、顔中がニキビと乾燥で荒れ地と化したからだ。
すぐさま母親に連絡し、少しひといき着くと夫も帰宅したので、報告。
記憶が定かではないが、ハイタッチをして喜んだ、、、と思う。
NZは、産婦人科に行けば全ての行程をそこでお任せできるという訳ではなく、いくつもの病院に行く必要があった。
まずは、妊娠確定の為の検査をしに一般心療内科へ。そこで、血圧と尿検査のみを行う。
次に、別の病院で血液検査。その後、じゃあ後は自力でミッドワイフ(助産師)をさがしてねー。と、野放しにされる。
知人の協力のおかげもあり、3人目のアプローチで助産師が見つかったが、こちらで出産予定の友人は14人目でようやく見つかったらしい。この不安定な時期にたいそうな大仕事を任されるものである。
しかも断られる度にやはりへこむし、この時期は小さなことで落ち込み、私はどうせ社会から、、、、というようなネガティブシンキングを繰り返していた。
そして、助産師も見つかり、ようやくエコーまでこぎつけられる!と喜んでいると、エコー検査も専門機関を探してアポを取ってね。と言われて笑ってしまった。
ようやく今日、エコー検査までこぎつけることができた。
妊娠が確定してからの3週間毎日不安だった。職場でかなり重たいものをもつときには神経を使ったし、心音を確認するまでは手放しに喜べず、妊娠しているという実感もあまりなかった。
検査前に朝食を抜き、水を750ml飲んで来てね。という指示に従った為、検査台のベッドにあがる頃には、尿意が限界を突破し、エコー中は漏らさないようにお腹をガチガチに固めるという行為に全集中力を注いだ。
おばちゃんドクターは、そんなこともつゆ知らず、お腹をぐりぐりと押してくる。
冷や汗が止まらない。
以前に知人から、心音を確認出来た時は感動して泣いたというエピソードを聞いていたので、泣く準備は出来ていた。
しかし、いざ確認ができ、心拍も正常範囲内よ。
と、言われた瞬間に
良かった。そろそろ検査も終了だと、心の中でガッツポーズをしたのであった。
赤子には申し訳ないが、人前で漏らさないことに集中しきった5分間だった。
無事に元気な赤さんと、エコーで対面でき嬉しさもひとしおだったので、ご褒美にとこちらでは高級品のアイス
『井村屋 抹茶小豆バー』を食べながら、ここまで生きていてくれた子と自分をねぎらった。
妊娠が分かって、ひとつ決めたことがある。
いつか生まれてくる我が子には、まず自分の幸せを1番に考えて欲しいと願うので、母になる私もまずは、自分が幸せかどうかを問いながら生きていきたいと思った。
よく、親は我が子の幸せを一番に願う。というような言葉があるが、それは自分を差し置いてでもこどもの幸せを優先するという意味ではなく、こどもがどんな道を歩むのか、どういう人間になっていくのか、というようなことよりもまず、こども自身が幸せを感じて生きてくれることを願う。という意味だと解釈している。
子育ては、想像している以上に大変たと、経験者は皆口を揃えて語る。
ならば余計、常に自分がハッピーな状態でいたいと思った。心に余裕がなければ、こどもにも強く当たってしまうこともあるだろう。
だからきっと私は、ずぼらで適当な母になると思う。
ベビーシッターも利用するし、夫と協力しながら、ひとりの時間の確保にも余念がない気がする。
ひとりの母というのは、そのこどもから見たときの役割にすぎない。
こども中心の生活がしばらく長く続くからこそ、大変でも楽しいなと思える環境づくりをしたい。
ここまでかくと、随分自己中心的な母親になりそうだなと、思われるかもしれないが、自分に余裕がないときに周囲にも思いやりを持ち、やさしくできる仏のような人間にはまだほど遠いので、ここに宣言しておく。
まずは、無事に産まれてくるまで、体調管理をしっかりしながらこちらでの生活を愉しみつくしたい。
おわり