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あの壮絶な出産から1ヶ月が経とうとしている。

お産の痛みは忘れるものだとよく言うが、産後身体の節々の痛みも合わさってセットで忘れがたい経験となった。

 

息子は明日で1ヶ月になる。日々夫婦で試行錯誤を重ねながら、子育ちサポーターに徹した。

夫は家事全般に布おむつ洗濯、夜間のおむつ替え。

私は、身体を休めるという名の全力だらだらに、授乳と日中のおむつ替えを担当した。

 

夫やミッドワイフの支えもあり、メンタルのアップダウンはなく日々穏やかに過ごせたものの、

会陰の傷や乳頭に傷が出来たりと身体は悲鳴をあげていたため、産後2週間は痛みと仲良しこよし状態だった。

ここ数日でようやく椅子に座るのが苦痛ではなくなってきたので、ぼちぼちブログを再開しようと重い腰をあげてPCを開いた。

 

今回は自宅出産について、記憶が薄れる前に書いていく。

 

 

息子は、5月25日に42週と3日目で産まれて来た。

日本で出産することを選んでいたら、息子のタイミングではなく日本の医療体制に従い、41週6日目までに引っ張り出され、息子のタイミングで産まれることは許されなかった。

どこまでものんびり屋な息子はぎりぎりまでお腹の中にいて、まるでNZで産まれることを理解した上でゆっくり出て来たかのようだった。

5月24日の朝6時頃に、腹部の鈍痛で目が覚めてそれが陣痛だと悟った。

15分間隔から始まり、2時間ほどで5分おきになった。午前中はかろうじて動けたので、痛みに耐えながら朝食をつくり洗面所を掃除した。

ミッドワイフが来るので最低限迎え入れる準備をしたかったのだ。

午後になり、2人のミッドワイフが交代で様子を見に来てくれたがいっこうにお産が進む気配なし。

夕方6時頃にはお腹がぺこぺこのミッドワイフと3人で鍋を囲んだ。夫が具沢山の味噌鍋をつくってくれたので、日本食好きだという彼女はよろこんで食べてくれた。この時も変わらず陣痛が来ており、5分おきに痛みに悶えながら食事を中断してソファに横たわり、波が去ったら食卓に戻るを繰り返した。

20時頃に子宮口チェックをすると、わずか2センチしか開いておらず脱力した。

まだ産まれないと悟ったミッドワイフは休憩しに自宅へ帰ってしまった。再び連絡を入れるタイミングは、会話がままならないほどの痛みになったらという曖昧すぎる表現で急に不安になった。

そこから4時間の間に陣痛の痛みは更に増して、本当に会話がままならなくなってきた。単語を発するのがやっとの状態で、深夜24時に再び連絡をした。

 

ここからあまり記憶がない。

 

 

水中出産用のプール

 

 

彼女が到着して水中出産用のプールを準備し、叫ばずにはいられない痛みと闘う12時間が幕を開けた。

まず水中では痛みが和らぐという話だが、私の場合は1/10程度の緩和でそれほど効果的ではなかった。

水中であろうと膝立ちやスクワットのポジションなどで全くくつろぐ姿勢になれず、結果足が痺れてソファで横になってみたりと、水陸を行ったり来たりでなかなか忙しかった。

夫は常に腰をマッサージ、プールのお湯が冷めないよう何十回もケトルでお湯を沸かしては足しの作業に追われた。

睡眠が取れないまま長時間のお産に突入したため、意識は朦朧とし英語でコミュニケーションを取る余裕もなくなり、痛い、辛い、もう無理!!!!!!!!と、ミッドワイフには分からないジャパニーズを連呼した。

 

痛みに悶えている私

 

 

明け方になると意識は更に遠のき、陣痛の波が去った3〜4分は夢か現実かもわからない状態で陣痛に耐えていた。

朝日が差し込み、正真正銘のオールナイトをしたことに気づく。

しばらくすると一人のミッドワイフが朝マックをテイクアウトして家に戻って来た。

こちとら陣痛に耐えて死にそうなのに朝マックだと、、、?!と意識朦朧としながら思った記憶はある。

すると、朝マックにはコーヒーでしょ。と言わんばかりに、家にコーヒーはあるかと夫に質問していた。

すかさず私が、NO!!!!!!! We have a only tea. と即答した。

数分後、プールの中でうなだれているとコーヒーの香りが漂って来た。

キッチンを捜索し、引き出しの奥に眠っていた賞味期限切れのコーヒーを飲んでいた。

紅茶しかないと言ったのに、おそろしい執念だ。それを伝える余裕もなく見て見ぬフリをした。

このときには陣痛の痛みはピークに。

痛い!!!!!!!!!!!!!!と泣き叫ぶ私をよそに、ソファで寝そべり、コーヒーを飲みながらほくそ笑むミッドワイフ。

コーヒー飲んでる暇あったら腰さすってー!!!!!!!!!と、心の中で大絶叫したが、理性が勝ち夫に全ての役割を託した。

昼の12時頃に、プールの中で破水した。

 

朝方の意識朦朧とした私

 

 

ここからいよいよ私たちの出番ね、と言わんばかりに2人のミッドワイフが準備を始めた。

水中出産を希望していたが、破水でお湯は血に染まり、ここで赤ちゃんを出すのもなんだかなあという気になった。

もう無事に産まれれば陸でもどこでも良かった。心の声を察してくれたのか、陸で四つん這いもしくはスクワットの姿勢を勧められる。

半分意識がない状態で言われるがままに、ゾンビのように水中から這い上がり陸へ。

 

最終的に前傾スクワットの姿勢で夫にもたれかかるようにして息子を産み落とした。

ミッドワイフに頭が見えてるわよ!キャッチする??と聞かれたが、夫婦で怖い!!!!と言って拒否したので、彼女がキャッチしてくれた。

 

 

産んだ瞬間に元気な産声を聞かせてくれた息子をみて、安堵感と感動で声をあげて泣いた。夫も泣いた。

息子は涙でぐしゃぐしゃな私の顔をみてにこっと微笑んだ。

 

これで痛みから解放されたと安心していると、まだ胎盤が中にあるからもう一度踏ん張ってね、と言われ絶望した。

もうこれ以上無理!と、こどものようにだだを捏ねた恥ずかしい記憶ならある。

ミッドワイフも苦笑いしながらがんばって、と励ましてくれた。

胎盤は想像していた以上に大きくて生々しい臓器だった。幸いにも胎盤の状態が良かった為、赤子が予定日を大幅に過ぎても元気だったそうだ。胎盤が美しいと誉められたのは、なんとも言えない気持ちにもなったが嬉しかった。

夜通し何も食べずに出産した為、産んでしばらくは横になって動けなかった。

ミッドワイフが頭上でバナナをカットしながら食べさせてくれたのだが、顔のすぐそばでナイフを使用する様子に怯えた。

手が滑って落ちたら顔中血だらけの大惨事になると震えながら拒否することもできず、バナナが口に運ばれ続けた。

 

こちらでは産んですぐにお母さんとこどもが肌と肌で密着するカンガルーケアというのが推奨されている。

私が横たわっている間に夫までもが上半身裸にされ、赤子を抱っこしていたのには笑ってしまった。

 

30時間に渡る長い出産ストーリーをだらだらと綴ったが、とにもかくにも子が無事に産まれて良かったの一言に尽きる。

 

産まれて最初に母親に電話をすると、彼女は号泣していた。

陣痛開始から1日以上連絡がなかったのでとても心配していたのだそう。

改めて日本に住む沢山の人からも、サポートしてもらっていたのだと感じた。

 

NZでの自宅出産は、10ヶ月寄り添ってくれたミッドワイフと夫の支えなしでは実現しなかった。

出産という経験は私の人生において間違いなくスペシャルで、身近な人たちに心からの感謝を伝えた日だ。

 

そして、我が家の新メンバーとなった息子へ

産まれて来てくれて、ありがとう。

 

 

産まれて数時間の我が子

 

 

 

 

 

おわり


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