警戒レベル2 23日目
今朝、起きてリビングに行くと、大量の空き瓶が窓辺に並べてあった。
これは、昨晩のリビング飲み会がおおいに盛り上がったことを意味する。
今週から、家を空けていたシェアメイトたちが戻って来て一段と賑やかになった。
今後は、イタリア人2人、チェコ人2人、カンボジア人1人、日本人2人での共同生活が始まる。
昨晩、カンボジア人のシェアメイトMくんと初めて話した。
カンボジアがだいすきで、また行きたい国のひとつだと話すと
彼は、カンボジア人は親日で日本人のことをとてもリスペクトしていると教えてくれた。
戦後、今よりも国が貧しい時代に、日本が寄付金を贈り、多くの小学校や教育施設を建設して国の発展にとても貢献したのだそう。彼が通った高校も日本により建造されたのだとか。
それを聞いて、私が直接何かをした訳ではないのに、先人たちの行いが現代の日本人のイメージまでよくしていて、彼らの功績を誇りに思った。
そしてそれを後世に伝え続けてくれてありがとうカンボジア!
4年前、私にとってはじめての一人旅の地がカンボジアだった。
その分思入れがあり、出会った現地の人たちの、温かくつつんでくれるような優しさ、直感で感じた居心地の良さにすぐに虜になった。
こんなに親日で、日本人と分かるだけで分け隔てなくもてなしてくれるカンボジア人だが、日本へ旅行に行くのは難しいらしい。庶民が観光ビザを取得するのさえ困難なことなんだと、Mくんは教えてくれた。
日本からは簡単にカンボジアに行けて、カンボジアからは簡単に日本に行けない。
この矛盾がとても引っかかった。
Mくんは言った。いつか日本の桜を見に行くのが夢のひとつだと。
この時代に生きていて、自由に国の行き来が許されていないことへの疑問。
たださくらを見たいという彼の夢が叶う日はいつ来るのだろう。無力な自分にもどかしさを感じずにはいられなかった。
日本人に生まれただけで、おおよそどこの国に旅行に行くにも苦労せず、VISAが取れる。
これは当たり前のことのようで、他国からすると当たり前ではないのだ。
航空券が買えるのに、VISAが降りずに日本に遊びにも行けないなんて、あまりにも悲しいと思ってしまった。
簡単にいつか遊びに来なよ、なんてことが言えないなんて。
旅行がしやすい国に生まれてきたことに感謝しつつ、親日国であるカンボジアの人たちが日本に気軽に来れる日がくるといいなと願わずにはいられない。
異文化交流をすることで、学ぶこと、理解し合うことで生まれる平穏な空間。
ここのシェアメイトたちはいつだってピースフルで利他的だ。特にチェコ人のIちゃんは誰に対しても自然な気遣いができ、想いやりに溢れる素敵な女性だ。野生の鳥専用の餌を買って、毎日森にいる鳥たちへの餌やりをかかさない。
朝、静かな空間で鳥たちと一緒に過ごす時間が好きなの。と言っている。
素敵だ。私もさらっとこんなことが言える女性になりたいものである。
鳥たちもそんな彼女のことがきっとすきであろう。
見習いたいところがありすぎて、チェコまで出向いて、彼女の両親にも会ってみたいくらいだ(良い意味での親の顔が見てみたい)。
彼女は日本の文化にも興味深々で、嵐のHappinessの歌練習、ピコ太郎の芸は完璧だ。日本語の発音も素晴らしい。
昨日は、ひらがなカタカナ漢字の使い分けと、その意味を説明した。すると彼女は腑に落ちた様子で、だから日本人はスマートなのね、と誉めてくれた。
たしかに、日本ほど文字を使い分ける国は他にない。海外の人が疑問に思うのも当たり前だ。
彼女はみそ汁を飲んだことがないというので、つくって試食してもらった。おいしい!また食べたいと喜んでくれた。
母国のソウルフードと言っても過言ではない味噌汁を好きだと言ってくれることがこれほど嬉しいとは。
また何度でもつくってあげたいと思った。
ちなみに以前彼女がりんごを煮詰めてつくったデザートもおいしくて忘れられない味である。
料理を通じて交流できるのもまた良い。
こうして日々異文化交流ができる暮らしは、たのしくて刺激的だ。
おわり