母になる準備というのを、今まで自分なりにやってきたつもりだ。
ある程度、栄養バランスを考えた食事を心がけ、ピラティスやジム、さんぽで身体を動かし、眠たい時には身体を休めるなど、どれも特別なことではなく、心身ともにストレスフリーで過ごすためにやっていた。
出産までいよいよ3ヶ月ほどになってきた。
今まで、モンテッソーリ教育について学んできたので、こどもが産まれて来たら実践の日々になることにとてもわくわくしている。
母としてできることは、こどもの成長過程においてある程度の見通しをもっておくこと、日々の子の成長を観察して見守り、子が安心して育って行けるよう環境を整えることの主に3つだ。
これはモンテッソーリを学ぶ上でも重要な、親としての心構えと言える。
親がやってあげる、教えてあげることはとても簡単だ。
それをいかにこども主体で、手出ししたくなる時もぐっとこらえて見守ることができるか。親の忍耐力が問われるのだ。
きっと口数の多い私は、とっさに口や手が出てしまい、求められていない助けをかって出ることもあるだろう。
トライ&エラーを繰り返しながら除々に慣れていくしかない。
今回はモンテッソーリが提唱した、産後すぐに始まる母子共生期についてかいていく。
母子共生期とは、生後8週間の母子の特別なつながり、信頼関係を築く上で最も大切な時期のことである。
今までお母さんのおなかの中にいた赤ちゃんは、母子一心同体のように十月十日を過ごし、この世に生まれてくる。
それまで守られていたおなかの中での平和な暮らしがある日突然、地上にて個体として生きていくことになるので、赤ちゃんは孤独と不安にかられるそうだ。
目隠しをされた状態で知らない場所に連れて来られ、野放しにされた状況を想像してみると分かりやすいかもしれない。
そんな赤ちゃんの不安を解消するべく、母子がぴたっと寄り添うように過ごすかけがえのない8週間。
この間に赤ちゃんは、この世は安全で安心に生きていけそうだ、と感じることができるのだとか。
父親は、そんな母子の時間を長く持てるよう身の回りのサポートにまわるのが望ましいとある。
我が家は、幸いにも夫が在宅で仕事ができる環境なので、この8週間は家事全般やおむつの洗濯、沐浴等を任せるつもりだ。
こちらは、最初の1ヶ月はこどもに授乳し、おむつを替え、出産で疲弊した身体を徹底的に休めることの3つしかしないと思う。
だいすきな料理もひとまずおやすみして、友人や夫にお願いする。(母には、コロナ事情で頼れない)
どこの家庭も夫婦の事情、仕事、子育ての仕方、家事の役割分担など、それぞれ違うはずだ。
だから、これが正解だとか、こっちの方が絶対に良いなどという模範解答は存在しない。
それぞれの家庭が良いと思う方法で育てていくのがベストなのだと思う。
しかし出産直後の母体の状態は、全治1ヶ月の交通事故にあったようなものだと度々耳にする。
命がけの出産という言葉は、決しておおげさではないんだと思う。
なので最低1ヶ月は、しゃかりきに動ける身体に戻すため、自分と家族のためにひたすら休むと決めている。
こどものそばで温もりを分け合いながら、これ以上になく静かで穏やかな時間を子と過ごすことが、私が自分に課する最初の母親としての宿題だ。
昨日、夫婦で食事をしながら子育ての話をした。
異なる価値観を持つ我々は、これからきっと意見の食い違いでもめることもあるだろう。
その中で、共通していることがある。
親がレールを敷かずとも、子は子の人生のレールを選択しながら自由に歩んでくれたらそれでいい、ということである。
高校に行かず放浪の旅に出ても良いし、LGBTだっていい。個として認めて家族それぞれの生き方を尊重していこうと。きっとふたりとも、子の進む道を否定せずに応援してくれた親の元に育った故、ここだけは似ているのかもしれないと思う。
もちろん道に迷ったときに求められれば、アドバイスや選択肢を常に用意していようと思うが、親になる自分が未完成で未熟な人間なので、気楽にゆっくりと、時に一緒に悩みながら成長していければ良いとも思う。
こどもに会える日まであと100日あまり。
産まれてくるあなたは、どんな顔でどんな性格なのかな?
と、好奇心旺盛な母は日々想像するのである。
おわり