前回のブログの続きである。
クイーンズタウンにわざわざ来てくれた高校生の彼女だが、とくにやりたいことはなく、私と話すことができればそれで満足だという、可愛げ選手権があれば優勝レベルだった。
しかし、せっかくここまで来たのにもったいないと思ってしまった私は、彼女に行ってみたいカフェやレストランを絞り出してもらい、2日間町中の狭い範囲をうろうろすることになった。
1日の大半はカフェ、もしくは彼女の宿泊していたsherwoodというハイセンスな宿に入り浸っていた。
ただ、話すだけで満足という彼女の言葉を鵜呑みにし、本当にひたすら話すプランになってしまったことに若干の罪悪感はあるが、話が盛り上がったので良かったとも思う。
ニュージーランドに3年暮らしている彼女から聞く、高等教育の現状、メリットとデメリット、政治の話など私が知らないニュージーランドのことを沢山教えてくれた。
高校生という立場で、日本を離れて知る日本のこと、ニュージーランドという異国の地で暮らして感じること、ありのままに美化することもなく、現実を冷静に受け止め、淡々と咀嚼しているような彼女の姿勢は人としてリスペクトする部分が多かった。
日本の高校生活とはまるで違い、町にバスもないような田舎町に住むSちゃん。放課後友達と出かけることもなく家と学校の往復の日々を過ごし、コロナによるロックダウンを経験し、何気ない友人との日常がいかに楽しかったのかということに気づけたと語っていた。
17歳の頃、自分は何をしていたかと振り返ると、部活を吹奏楽部から陸上部に転部し、ファミレスでアルバイトを始め、クラスの友達と渋谷で遊んでいて、勉強とは程遠いことばかりに力を注いでいたらしかった。
一方で彼女は、学ぶことに関してとても貪欲で、努力家だからこそこの地で3年間がんばることができたのだろうなと感じた。
彼女より10年ちょっと長く生きている私から言えることは何もなかった。
しいてあるとするならば、いま目の前のやってみたいことに時間を費やしながら自分の中でのすきなモノゴトをすこしずつ増やしていく。
大学は必要だと思ったタイミングで行くのでも遅くないよ、ということだった。
17歳、これからなんでもできるね。無敵だよ。と伝えると、やりたいことがありすぎて。と、わくわくしながらも困ったように話すSちゃんは、私の目に魅力的にうつったことは言うまでもない。
朝から夕方まで2日間喋り倒し、夕方はsherwoodの施設内で行なわれているヨガクラスに参加し、久しぶりのヨガを楽しんだ。
彼女は、普段から何も運動をしてないと良いながら、驚異の柔軟性を持ち合わせており、足が180度開脚したのには笑ってしまった。もともと何もしなくても股関節が柔らかい人っているんだなと思った。
ヨガのレッスンもはじめてなのに、5年くらい経験してたでしょ。と、終了後に確認を入れたほどアドバンスクラスにもついて来ており、 果てしないポテンシャルを感じて恐怖さえ覚えた。
ヨガの先生も流石にびっくりしたようで、あなたが今日初めてのレッスンだったなんて信じられないわと、言っていた。
最終日の夜はsherwoodのレストランで食べた。やたらと雰囲気の良い空間でやたらと親切なスタッフ、料理の数々に至れりつくせりだった。
高校生にして、この宿に4泊もした彼女の今後に注目したい。
フレッシュでエネルギッシュなパワーをもらえた時間だった。感謝。
おわり