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4月26日

早朝6時半に目が覚め、あさんぽにでかけることにした。

ついでに7時からオープンのブッチャーにて、お肉も買って来よう。

 

温かい服装に着替え、外に出ると朝の新鮮な空気と日が昇り始めた朝焼けの空がお出迎え。

良い1日のはじまりだと確信した。

 

 

精肉店に着くと、クローズしていた。今日はNZの国民の祝日だった。

日本で言う終戦記念日のような日で、多くの店がクローズしていた。

 

目的地を精肉店に定めてただ歩いて来た人になった。

そのままUターンをして家路に着く。

 

朝食に味噌汁を飲んだら、わかめがのどにつまり盛大に咳をした。あまりに長く続く咳に心配した夫が起きて来た。

わかめが詰まったことを必死で伝えると、呆れていた。こちらだってわかめを詰まらせるなんて不甲斐ないし、人生ではじめてだ。

 

 

その後、予約していたジムへ向かった。ここ最近はレッスン開始ぎりぎりか少し過ぎてしまう頃に到着していたが、早起きで準備もスムーズだったので珍しく早めに到着した。

スタジオへ入ると、いつもはぴったりに終わるはずの前のクラスがまだレッスンをしていた。

なんだか嫌な予感がしてスケジュールを確認すると、いつもは11時開始のレッスンが祝日で時間変更となり1時間前倒しでのスタートとなっていた。事実上の大幅すぎる遅刻である。

またもや、トレーニングをしないのにジムまでただ歩いて来た人となった。さすがに2度目は落ち込む。

そんなこんなで、目標としていた1日30分のさんぽ時間だけは達成できた。

 

帰宅すると、歩いて代謝がアップしているはずなのに、腰から下の下半身が異常なほど冷えていた。血の通っていない死人と同じレベルだった。冷えは万病の元という言葉だけは知っているので、すぐさま湯たんぽに熱湯を注いだ。

ひさしぶりの湯たんぽに手元がおぼつかなかったのか、注ぎ過ぎてしまいその熱湯が手元に盛大にかかった。

 

家中に響き渡る大声で、あつうううううううううううううううううううう。と叫んだ。

大火傷を覚悟するレベルでわりと大量の熱湯をかぶったのでパニックに陥った。

すぐさま冷水で冷やし続けて、目の前にいた夫に大げさな痛みアピールをした。

 

情けなかったが、不運続きで心が折れかけていて心配してほしかったのだ。

これからは俺がお湯を注ぐよと言ってくれたが、求めていた言葉はそれではないと、勝手に不機嫌になるめんどくさい妻である。

幸いにも大事に至らずことなきを得た。

 

 

もうここまで色々と落ちるところまで落ちたのであとは上がるしかないなと、妙にポジティブになれた。

こう言った謎のポジティブ思考は、敬愛するコジコジの生き方からヒントを得ている。

 

 

このタイミングで、親しくしている友人と電話をすることができた。彼女から結婚の報告を聞き、心底嬉しく思った。

もうこの時点でプラマイゼロ、もしくはプラスである。

友人も子の誕生を自分のことのようにたのしみにしてくれていて、彼女の声を聞いただけで出産に対するモチベーションが更に上がった。

 

 

楽しく会話しているうちにすっかり下半身冷えも解消され、幸せな気分に浸れたところで電話を切った。

 

次に、誕生日を迎えた母親に電話をした。

誕生日に届くよう、彼女の好きなフルーツを熊本の農家さんから直送で手配しておいたのだ。

しかし電話をかけた時にはまだ届いていなかったようで、サプライズにするつもりが、気持ちが先走ってフルーツ到着の予告をしてしまった。

これがカップルのシチュエーションなら絶対に我慢できると断言できるのだが、相手が母親なので妥協したと言える。

 

とにもかくにも、まだまだ健康で長生きしてもらいたい。産まれてくる子の成長を一緒に見守ってほしい。

苦労して育ててもらった分、これからも楽しい時間を共有して行けたら良いと思う。

母が子育てに費やして来た時間を考えると、これから過ごす時間の中で何かを同等に返せるなんて到底思えないし、返さなくて良いと思っている。

ただ彼女が元気に笑顔で過ごしてくれれば、それが私の幸せにもつながる。

母が行きたいところ、食べたいもの、挑戦したいことには出来る限り寄り添いたい、というシンプルな気持ちは親孝行ということなのだろうか。

親孝行の本質とは、何かをしてあげたり買ってあげたりというものではなく、この世でたった一人の母親を敬愛し、大切に想う気持ちだと思う。それさえあれば、何かをしてあげなくてはという固定概念にとらわれる必要はないのかもしれないが、目に見えるカタチで喜んでもらえたら嬉しいというのも、自己満足にすぎない正直な娘の気持ちという事なのだろう。

それは私が友人に対して思う気持ちとさほど変わらない。

 

結婚式

 

そんなことをふと考えて、今日という1日が穏やかに過ぎ去ろうとしている。

 

 

 

母が産まれて、私が産まれた。当たり前のようにある現実は、奇跡だ。

ありがとう。おめでとう。

 

今となっては着れない色の派手なセーターを着る私とピンクが似合う母

 

 

追記、母の姉である叔母も、同じ誕生日というダブルでおめでたい日。

2人そろっていつまでも若々しくお元気で。

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 


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