気がつけば、41週を迎えてしまった。
まだまめがやってくる兆候はない。除々にスクワットとさんぽの時間を増やしては、彼に無言のプレッシャーをかけている。
昨日は1時間ほど山の周りを夫と一周した。自然の中にいるだけでエネルギーが湧いて来て、身重な私の足取りも軽やかだ。
そんな今日もさんぽがてらほぼ貸し切り状態となったカフェにてくつろいだ。
ここまで来ると長くてもあと1週間くらいの期限付き妊娠生活なので、まめにぎりぎりまでお腹にいてくれても良いよ、と念を送っていた。
まめはお腹の中にある日めくりカレンダーを毎日破りながら、誕生日をいつにしようか迷っている優柔不断な性格かもしれない、と余計な妄想までしている。
私は、まもなく母になるにあたり、ひとつ心に決めていることがある。
それは自分の理想とする母親像をつくりだし目指さないことだ。
あるがままの自分に、母親という肩書きを足すようなイメージで考えている。
こどもが小さいうちは必然的に一緒にいる時間が長くなるが、言葉が交わし合えるくらいの時期になったら、毎日24時間母親ではないことを伝えていこうと思っている。
まめには、母親である顔と、ひとりの人として人生を謳歌する私を見て育ってほしいと思っているので、お互いの折り合いをつけながら日常を過ごして行きたい。
あくまで対等な関係であるために、私のひとり時間がほしければ、こどもにも説明してひとり遊び、もしくは友達や父親と戯れていて欲しいし、時にはこちらがまめの欲求に応えるといった具合だ。
そんな母の姿をみて、わがままで自由などうしようもない母親だなあと思ってくれたらラッキーだ。
人間には誰しも欠点があり、自分の想い通りに他人をコントロールすることは不可能なのだと、まず家庭内から学ぶであろう。
以前芸能人のYOUさんが、子が親を反面教師にして、とてもしっかり育ってくれたと誇らしげに語っているのをメディアで観た。
完璧や理想を追い求めたらキリがないし、全ての物事をきっちりできてしまうと無意識のうちにこどもにも同じことを求めてしまう気がする。
こどもが苦手なこと、得意なことを丸ごと受け止めてあげたいので、私も躊躇なく苦手な事や出来ない事をこどもに知ってもらおう作戦を早々と決行する予定だ。
とは言えこのズボラすぎる性格だと、時にこどもが不憫な気もするので、私と正反対の性格の夫が良い中和剤となってまめおに刺激を与えてくれるのではないかと思っている。
夫は自転車に乗れるようになった子どもと旅に出たいと言っているので、そんな時は父子の時間をたっぷりとっていただき、私はひとり海外や国内を旅する計画を目論んでいる。
母親になったからといって、ひとりの時間がなくなるなんてまっぴらごめんのすけである。
死ぬまで自由を謳歌してコジコジのように生きるが今のところのテーマなので、子育ても仕事も遊びも全部する。
その全部を叶えるためには、適当さとマイペースを貫くことが必須条件なのだ。
今までモンテッソーリについて学んで来たので、子育ての参考はモンテッソーリ&自己流のダブルで試行錯誤しながらやってみたい。
これは実践をする中で実感していくことだと思うが、モンテッソーリには制限のある自由が常に伴うのでこどもにとっても窮屈ではないだろうと確信している。
とにかく物心つくうちから、こども自身に選択させることを念頭にやっていきたい。
これからの人生、まめがどんな選択をして自分の道を切り開いて行くのかたのしみなのだ。
私も死ぬまで小さな選択の積み重ねをしながら、人生に沢山の色を重ねていきたい。
きっとまめから学ぶことも沢山あるのだろう。
そんなことを考えながら、まもなくやってくる約8週間の母子共生期はぴったりくっついて共にがんばろうと、まめに語りかけた。
そこから始まるそれぞれの人生を、より豊かなものにするための準備期間が始まろうとしている。
おわり
追記
毎日のように誰かしらから、陣痛は来たか、無事に産まれたかどうかの連絡が入る。
気にかけてくれる人がこんなにも沢山いるということが本当に嬉しいし、まめも私も幸せ者だと思う。ありがとうございます。
報告の日までしばしお待ちを、、、。