お久しぶりの更新となってしまった。
誰からも更新を促されている訳ではないのに、なぜか罪悪感が湧いてきた。
ここ数週間怒濤の日々を過ごしたので、記憶が曖昧だ。
まず、8月のはじめにタウランガに到着。ここからゲストハウスを転々とする生活がスタート。
タウランガに着いてすぐに始まった、不動産屋巡りの日々。
現地の不動産事情を知らないまま、手探りで電話、メールでの内見申請。
日本の一般的な不動産屋とは違い、それぞれの不動産が持っている物件が全て違うということに気づく。
スーモに行けば、物件一覧らくらく検索、なんてことではなかった。
町の至る所にある不動産1軒ずつ回ることとなった。
タウランガが人気エリアからなのか、ある日、指定された物件の内見待ち合わせ場所に行くと、10組近くの内見者が集合していて驚きを隠せなかった。
シンプルに物件の争奪戦である。
皆、我先にと物件に入り、くまなく部屋をチェックする。ライバルがいすぎるあまり、室内はごった返しており集中して内見できる環境ではなかった。
1週間が経ってもなかなか納得の行く物件に巡り合えず。(そもそも賃貸物件がとても少ない)
ある日タクシードライバーに物件探し中だと話すと、俺はここで家が決まるまで50軒ほど申請して審査に落ち続けたんだよな。決まるまでに7ヶ月もかかったぜ。と、身も震えるほどの恐ろしい話を、さわやかな笑顔で話し始めた。
物件探しがそんなに厳しいなんて、すぐに決まるだろうと舐めていた自分をぶん殴りたくなった。
そして、オークランドに行くことまでもが頭をよぎった。
物件探しから10日経って、ようやく希望に近い物件が見つかった。しかしコレを逃せばいつまでゲストハウス生活が続くか分からないと恐怖で不動産屋に直接熱意を伝えに何度も出向いた。
今すぐにでも借りたいんです。お願いします。と、私の拙い英語レベルの限界、使えるだけのボキャブラリーを駆使した。
オーナーさんも、あまりに必死な形相のジャパニーズに引きぎみであったことは、フィーリングで分かった。
その想いが通じたというか、強引さに負けてくれたというのか、なる早で貸してくれることが決まった。
このとき既に、部屋の間取りや立地、デザインなど、割とどうでもよくなっていた。疲れがピークで一刻も早く家という居場所の確保が必要であった。
これにて、約2週間のロードトリップ兼家探しが終わったのである。
急ぎぎみで貸してくれることになったため、入居の翌日に清掃が入ると言われた。
引っ越し当日は、何もない埃まみれのカーペットに寝袋を敷いて寝た。
それでも室内キャンプ気分でなんかいいじゃん。と心に余裕のある発言と裏腹に、翌日しっかりと腰が痛くて起床するのであった。
翌日、清掃会社の若い女性スタッフ2名がやってきた。
インターホンがなり、エントランスまで迎えに行くと、マックのジュースを飲みながら、左手にはマックのブツを持っていた。
清掃会社の方かどうか今一度確認したくなったが、ここはNZや。
きっと清掃直前にお腹が空いて我慢できなかったんだろうなと、心を無にして室内へ案内した。
まず、清掃がスタートする前に、キッチンでマックのセットを食べ始めるお姉さん。腹が減っては戦はできぬ状態なのだと思い、スルーした。
まだ、匂いのないパンなどであれば良かったのだが、よりによってマックとは、匂いも癖も強い。
そして水回り中心の清掃だったのだが、やらなくて良い場所の確認から入るお姉さん。
明らかに汚れている場所もスルーされそうだったので、とりあえず水回りは全部拭いてほしいと依頼した。
そして、そこまで綺麗にならなかった水回りを、翌日2人で再び掃除することになったのは言うまでもない。
とにかく、帰る場所が出来て一安心である。
夫との約1年ぶりの同居生活が、コロナによって予期せぬカタチで再スタートしたのだった。
おわり