はじめて餃子をつくってみた。
恥ずかしながら、結婚前まで長らく実家暮らしでのらりくらりと暮らしていたため、料理を日常的にすることはほとんどなかった。社会人になってから、申し訳程度に職場に持参用の弁当をつくっていた程度だ。
結婚して当たり前のように毎日料理をするようになった。
驚いたことは、料理が意外と苦にならず好きになったことと、母親からレシピを教わらなくても自分の舌の感覚を頼りに実家で食べていたような食事をすぐに作れるようになったことだった。
家庭の味は遺伝するのだと悟った。まだ物心つかない小さな内から、外食をほぼせずに毎日3食母のつくった美味しい料理のおかげで、舌が母の味を覚えていたのだ。
当たり前のことだが、自分で料理をするということは、その時に食べたいものを好みの材料と味でつくれるのだ。
昔は、食べたい気分じゃないメニューが夕飯に出てくると文句を言っていたのだが、母が一生懸命つくったものにケチをつけるなんて本当に可愛げのない失礼なこどもだったと思う。
話は遡ること28年前。
私は、北京で生を受けた。当時、父母兄姉の5人は父親の仕事の都合で北京に6年住んでいた。
一般のサラリーマン家庭だが、北京駐在時には家にお手伝いさんがいるという高待遇で、料理を彼女がしてくれたこともあったのだとか。
そのときに、彼女が作った餃子がとても美味しかったそうで、母は、お手伝いさんから餃子のつくりかたを教わったそうだ。
以来、一家は日本に帰国し、私は千葉の木更津で産まれたが、両親は中華料理がとても上手で、和食と同じくらいの頻度で中華料理が食卓に並んでいた。
母はお手伝いさん直伝の餃子を皮からつくってくれることもあり、小さい頃からどこで食べるよりも母の餃子が一番好きだった。
そんなある日、無性に餃子が恋しくなった。
しかし、自分で作るとなるとあの味を忠実に再現しなければ納得がいかない。
母にしつこく2度もレシピを聞くために電話をかけ、ようやくつくることができた。
朝から、今日は餃子をつくるんだと思うと、わくわくそわそわしてしまい、仕事中も餃子のことが頭から離れなかった。
仕事中店の餃子をお客さんに運ぶ度に、これより100倍美味しい餃子をもうすぐつくるぞと、謎の闘志を燃やすほど、完全に身も心も餃子に支配されていた。
帰宅して餃子をつくり始めたが、途中2度も味チェックのため餃子の中身を試し茹でした。
それくらい失敗をしないよう慎重につくっていた。いつもなら、信じられないくらいがさつで大雑把な性格なので、料理も全て目分量なのだが、今回ばかりは慎重になっている自分がいた。
きっと初回の餃子が失敗したら、ショックで再チャレンジの日が遠のくだろうと怯えていたのだ。
それほど意気込んでつくった餃子だったので、味はなんとか実家の、あの餃子になった。
間接的に言うと、北京本場の味と言っても過言ではなかろう。
どうでもいい話だが、餃子は完全に水餃子派である。もちろん王将の焼き餃子も好きだ。
しかしこれからも我が家の餃子=水餃子となるだろう。
次回は、皮から手作りしてみたいと思うが、少しハードルが上がるのでいつになることやらである。
おわり