ここ最近更新を怠っていた。
たのしみにしてくれていた方には申し訳なく思っている。(自意識過剰)
WellingtonからOhakunneという小さな町へやってきた。
前回ブログにも登場した、現地の高校に通うSちゃんに再会するためだった。
彼女は、15歳から3年間高校生活をNZで過ごし、今年の12月に卒業予定だ。
今回は、彼女のホストファミリーが営むモーテルに2日間滞在させていただいた。夫婦でSちゃんを本当の娘のように愛し、大切にしている様子が手に取るようにわかり、なんだかじーんと来てしまった。
初日の夜は、Sちゃんはクラスメイトの誕生日パーティへ出かけたので、夫を含めた4人で夕食にした。
ホストファザーがチーズリゾットをつくってくれたのだが、おいしすぎて図々しくおかわりまでした。
英語が流暢でない私たちのためにゆっくりと話してくれる気遣いがありがたかった。
日本に行ったこともあり、写真を見せながら思い出を語り始める2人。
中でもドン・キホーテが衝撃的だったと話してくれた。
爆音のテーマソングが流れ、物がところせましと雑に陳列してあるドンキのような店はもちろんNZにはない。
ホストファザーがひげ剃りを購入しようとしたところ、一つの棚全てがシェーバーコーナーになっていて種類が多すぎて戸惑ったらしい。日本は、良く言えば物が豊かだが、悪く言えば大量生産でエコではない。
日本の雑貨屋のイメージがドンキのような店で定着しないことを祈るばかりだ。
翌日は、Sちゃんの友人のコネ(母親が小学校の先生)で、現地の小学校を視察することができた。
ひとこと言えるのは、日本の小学校とは全くと言って良いほど別物の施設だったということだ。
まず、小学校低学年のクラスにはおもちゃが存在する。まだ幼稚園から上がって来たばかりのこどもたちに、椅子に座りっぱなしで授業をしようというのも無理な話なので、まずは学校という場所に慣れよう。といった具合だ。
学年ごとにクラスの雰囲気が違うのもユニークである。
最終学年ともなると、日本のような机と椅子のセットがようやく登場する。
それまでは、各個人の椅子テーブルもなければ決まった席もない。皆自由に教室内を行き来できるようになっている。
小学校に入学したら急に小学生になるのではなく、段階を踏んで徐々に小学生へとなっていくのだ。
体育館に行くと、こどもたちの製作が壁に貼られていた。そこにこどもの将来の夢がかかれていて、中にファーマーになりたいというこどもがいた。NZらしい職業であり、代々家業を継ぐような仕来りが、この国にもあるのだろうなと思った。
その後、Sちゃんが通う高校へ案内してくれた。
沢山の生徒たちの中にひとり謎の私服女が紛れているという奇妙な光景だった。
ハイスクールミュージカルやグリーのような世界観だなと、イケイケな高校生たちを横目に若干びびっていた。
この日は、翌日に開催される1年に1度のビックイベント、ダンスパーティに向けての準備に追われていた。
イベント前日なので、いつもよりテンションが高く浮き足立っているのだと彼女が教えてくれた。
男子生徒はスーツ、女子生徒はドレスを各自用意して参加するそう。アメリカのドラマのワンシーンに出てくるあれじゃん。
青春だな〜。と、あまりにも青春とはかけ離れた昔の高校時代を思い出したりもした。
日本の高校にもそのような華やかなイベントがあれば良いのになと思った。
NZの高校は単位制で、科目もおおかた選択できるようになっている自由度の高いシステムだ。
大学に入学するための試験もなく、高校3年間で必要な単位を取得していれば誰でも入学可能らしい。
ちなみにNZの大学は約7校で、日本の大学の100分の1だ。高校卒業後専門学校や、ギャップイヤーをとる生徒もいるので、大学の進学率はそこまで高くないそうだ。
卒業後の進路に様々な選択肢があるのはとても良いことだなと思ったし、ギャップイヤー(学校には行かず好きなことをする期間)というのも日本でもっと浸透してもいいのになと思った。大学や専門学校は行きたい、学びたいと思ったタイミングで行くのでも遅くない。そういった人それぞれにある、学ぶタイミングを、周りに流されずに自分の意思で決められるこどもが増える世の中であってほしい。
授業の合間を塗って、学校案内をしてくれたSちゃんとクラスメイトには感謝しかない。
日本人ひとりという環境で、現地の高校に通い始めて3年、英語環境、慣れない異国での暮らし、大変なことが沢山あったかと思う。それでも地道にコツコツと努力をし、周囲から愛されているSちゃん。彼女が他の生徒たちに良い影響を与えていると学校の先生たちも評価しており、表立ったリーダーではないが、生徒たちの良い模範となっているのだと、ホストマザーが嬉しそうに誇らしげに話してくれたのが印象的だった。
私もそんな彼女と出会えたことで、学んだことは数えきれない。Sちゃんの将来がたのしみだ。
Ohakune滞在のつづきはまた次回。
おわり